Web Open Campus

旧工学研究科ホームページに掲載されていたWeb Open Campus のうち生物工学専攻(旧生命先端工学専攻)を抜粋したコンテンツを掲載しております。

「神経伝達物質「ドーパミン」を見よう!」

ガリレオは望遠鏡をつくって月のクレーターを発見しました。フックは顕微鏡をつくって細胞"cell"の存在を提唱しました(顕微鏡の発明はヤンセン父子)。新しい道具(技術・手法)を自らつくりだすことで、それまで見えなかったものが見えるようになり、歴史的な発見ができたのです。今日はみなさんに"見えないものを見る"最新の手法を体験してもらいます。「イメージング質量分析」という最先端の分子可視化手法で、神経伝達物質であるドーパミンがマウスの脳内でどのように分布しているかを見てもらいます。

「ドーパミン」という言葉を聞いたことがあると思います。おいしいものを食べた、褒められた、感動したといったときに出るために快楽物質とも呼ばれていますね。このドーパミン、生理学的にはその存在や働きがわかっているのですが、ドーパミンそのものが脳内にどのように存在しているのか、実は誰も直接見たことがなかったのです。さて、今日はマウスの脳を使うのですが、まず脳を薄くスライスしてサンプルをつくらなければなりません。それを行うのがこのクライオミクロトームという装置です。

円形の部品の真ん中に接着してあるのがマウスの脳です。これを今日は8マイクロメートル(1マイクロメートルは0.001ミリメートル)の薄い切片にしてもらいます。やわらかな組織のままでは無理なので脳は凍らせてあり、装置の中もマイナス20度に保たれています。手前の四角い板の先端に鋭い刃が付いていて、1マイクロメートル単位で調整しながら脳を削ぎ切りできるようになっています。切片ができたら表面に金属が蒸着されたガラスプレートに貼り付けます(右写真)。この一連の作業はとても難しいので、みなさん慎重に挑戦してみてください。

私がお手本として作業を行ったサンプルを見てください。薄い脳の切片をさらに薄く均一に伸ばしながら貼り付けたもので、ここまでできるようになるには熟練を要します。私の研究室グループに配属された学生に最初に指導する作業でもあります。脳はとても複雑で部位によって構造が大きく変わるため、ただ薄く切ればいいのではなく、ドーパミンを確実に見るためには、どの場所をどの角度で切るべきかも非常に重要です。そのためには研究者は解剖学や生理学などの知識も持ち合わせていなければなりません。

まだこのままでは先ほど説明したようにドーパミンを見ることはできません。光学的に見るのではなく、分子1個の質量を測定する質量分析という手法を用いるからです。分子の質量を測定するには「イオン化」という工程が必要になります。イオン化とは、通常は中性の分子に電荷を付加したり取り除いたりして、電気を帯びた粒子に変換することです。そこに電圧をかけイオンを飛ばし、ゴールである検出器に到着するまでの時間を検出するのですが、分子の質量によって速度が異なるため、ドーパミンを特定することができます。なので、分子をイオン化させるための前処理が必要です。

実は生体組織というのは様々な物質が混ざっているため、分子をきれいにイオン化するのが難しく、前処理に使う試薬(イオン化の補助剤)種類やその試薬を供給する方法にもいろいろあります。その中で私がたどりついた現時点での最適の組合せが、真空蒸着装置(前の写真の黒い装置)によって第1の補助剤をコーティングし、さらに第2の補助剤をスプレーで塗布する処理方法です。イオン化にはレーザーを用いるのですが、この前処理により、レーザーを当てたときにイオンがたくさんできるため、質量分析の精度も高くなるのです。

さて、お待たせしました。この大きな装置が「イメージング質量分析」を実際に行うiMScope(島津製作所)という機械です。この装置の開発には当初から私も主要なメンバーとして関わっていて、2013年に市販されました。この装置の特徴は、光学顕微鏡を搭載することで、顕微鏡下でのイメージング質量分析が可能なことです。また、レーザー照射してイオン化する部分は通常は真空状態にするのですが、この装置は大気圧下でのイオン化を可能にしており、研究者にとって使い勝手がとてもよくなっています。

なぜ光学顕微鏡を搭載していると思いますか。実はサンプルを前処理する前に一度この装置に入れ、サンプルの顕微鏡写真を撮っていたんです。前処理したサンプルはレーザーでイオン化して質量分析にかけるのですが、その際、顕微鏡写真をモニター上に映し出して測定位置や範囲を決めながら最適な分析条件を指示することができます。この装置は最高5マイクロメートル間隔でレーザー照射ができますが、これはデジタル写真のピクセルにあたります。高密度であればあるほど高精細なイメージングが可能になるわけです。

装置が何千点、何万点という箇所の膨大な質量分析データを取り終わると、質量(横軸)と検出強度(縦軸)のグラフ(マススペクトルによる成分分布)が表示されます。そこに表示されたいくつものピークの中からドーパミン由来の特定のピークの強度を抽出して描画すれば、目的のドーパミンが、どこに、どれだけ存在するかを「見る」ことができます。さて、出ましたね。この青い部分がマウスの脳内のドーパミン分布です。「イメージング質量分析」という新しい手法ができたことで、見えなかったものが見えるようになったのです。

初めてイメージングされた脳内ドーパミン分布の画像を発表したとき、生理学者や脳研究者たちは驚きました。生理学的に考えられていた分布と合致しており、ドーパミンがきちんと「可視化」できていたからです。もちろんこの手法を使えばドーパミン以外にもいろいろな物質を見ることができます。抗がん剤の臨床研究をはじめ、脳の中枢神経系の病気であるパーキンソン病の研究などにも使われています。「見る」ことは科学の発展に不可欠です。「見る」ことでいろいろな分野の問題解決の道が開けるのです。


生命先端工学専攻(現生物工学専攻) 新間 秀一 准教授

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生物資源工学領域(福﨑研究室)

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